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NO.86209
ラバウル航空隊
2009/02/14 15:24:26
零戦隊さん 男性 20歳
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NO.423906
ポリさん
2009/02/14 16:44:59
女性 36歳
コメント:
出来なかったと思いますね、どうあがいても・・・

ガダルカナル島の激戦から東京大空襲に至るまでには数年の間が開いていると思うのですが、ガ島での消耗戦がなかったとしても、日本は太平洋南方諸島をかなりの広範囲で侵略していて、日本本土をめがけて一つ一つ陣地を連合軍に奪われていった訳ですからね。

硫黄島激戦での総指揮官、栗林忠道氏という方がいたのはご存知かと思います。彼は太平洋戦争時に数々繰り広げられた激戦の中でも特に優秀な指揮官だったと評されている方ですが、太平洋戦争勃発するはるか前にアメリカに渡って、アメリカという国がどれだけの大国で力のある国なのか、日本とのあまりのレベルの違いを自分の目で見て実感しているんですよね。

彼はこの戦争が開戦した段階で、日本が一番戦うべきではない国がアメリカで有る事を見抜いていて、要するに幼稚園児が大人と本気モードの力喧嘩をするようなものだという事を言っているのですが、ガ島の激戦を除いたとしても、アメリカという国がすでに日本に取っては全く歯の立たない相手であった事から、東京大空襲の被害軽減というのは無理だったのではないかと思います。

太平洋戦争が勃発したのは昭和16年12月ですが、その翌年、昭和17年6月のミッドウェー海戦での惨敗を機に、僅か半年程度で日本は連合軍に対して劣等的な立場に追い込まれた訳ですものね。

敵国の空襲状況を把握するレーダー技術にしても、日本はほとんど皆無だったのに対して、アメリカははるか遠い距離にいる日本軍の状況をキャッチしていた訳ですから、話にならない感じだったのではないかと思います。

生き残った元日本軍の方の証言でも、全ての方が「最初から話しにならない戦いだったのだ・・・」と仰っていますよね。
「アメリカは機関銃を使用しているのに対して、日本は一発一発の単射銃・・・これで勝てと言う方がおかしいのだ」と・・・

確かに彼らの飛行技術は優れていたのだと思います。
そして日本人は頭が良く、特に当時の日本軍は一つ一つ確実で正確な仕事をこなす事が出来る賢い技量を持っていたと思うのですが、肝心の戦具・・・つまり機械そのもののレベルがこれだけかけはなれている以上、素手で戦う訳じゃあるまいし、到底勝ち目はなかったという事ではないでしょうか・・・。
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