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NO.193609
人の幸せ云々、まあ何でも。
2017/11/15 09:41:46
黒ウサギさん 男性 30歳
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NO.922224
満月さん
2017/11/16 22:59:45
女性 64歳
コメント:
私にも若い頃があって、一時期人に親切にすることや、年配の人の助言を頭から受け付けない時がありました。
親の言うことにもことごとく反対したりして…。
思春期だったのでしょうね。

電車で座席を譲ることや、思わず手助けしてしまったことまで「これは偽善?自分が良い人と思われるためにやっているのかしら?」などと考え出したらすべてが偽善に思えて身動きがとれなくなってしまった覚えがあります。

あれから長い年月がたって色々な経験をして、特に息子を事故で失いそうになった時から、どう表現すればいいのかも分かりませんが自分の家族はもちろん、世の中の人すべてが幸せでいてほしいと思うようになったのです。
それは漠然とした気持ちで、目の前で不愉快な言動をされたら仏様ではないのでその限りではありません。
この気持ちは表現のしようがありません。

今私は人に親切にすることや、手助けすることを積極的にやっています。
自分の心のままに。
自分がしたいからやっているので、たとえ感謝がなくてもいいのです。
そしてそれを偽善といわれたとしても全然かまわないのです。
なぜならそれが偽善かどうかは自分が一番分かっているからです。

そしてここで回答する時にも、昔の私のようにきれいごとだとか偽善的だと思って私のアドバイスを受け付けない人もいて当然と思っています。
だから、批判に関しては「なるほど」と思って、自分の糧になるし、賞賛については、はっきり言っていりません。

批判は自分を省みる材料になりますが、賞賛は私の中では何の意味も持たないからです。
これに関しては黒ウサギさんおっしゃっていた「他人からの批判って凄く嬉しく感じます」に近いものがあります。

自分の心が思うままに人に親切にしたり、助言することで悩んでいる人が少しでも楽になったとしたらそれでいいのです。
それは自分が人に親切にしたいからであり、そのことで笑顔になってくれたら嬉しいから。
ただそれだけなのです。

回答して返信がなかったとしても「このアドバイスはこの人にとって悩み解決のヒントにならなかったかー」位の思いです。

ですから黒ウサギさんが心配してくださるようなストレスは全然ありません。
傷つくこともないのですよ。^^

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