疑問・質問
NO.191726
●運命などの、目で見えないものについて 。
2016/10/22 07:34:14
・世梨花さん
女性 31歳
への返信
NO.916265
●・満月さん
2016/10/22 19:00:03
女性 63歳
コメント:
神や仏がいるかいないか、運命というものがあるのかないのかを分かるかと言われれば、分からないというしかありません。
私は若い時には世梨花さんのように無神論者でしたし今も宗教団体は嫌いです。
ただ今まで生きてきて、そういう力を信じたいと思ったことは何度かありますし、実際息子が交通事故で意識不明になった時には毎日のように天に向かって「息子を返してください」と目に見えないなにかに祈っていました。
そして息子が生還した時には、目に見えない何かの力を感じて深い感謝の気持ちが湧き上がってきたものです。
その感謝はすべての人や万物に対してまで広がり、自分の中に神や仏といわれるおおいなる存在のかけらが入り込んだような気持ちでした。
それまでは世梨花さんのように、自分を成長させるためにどちらかといえば困難と思われるような道を選んできて、時には死んでしまいたいと思うようなことがあっても、なんとか乗り越えてきたのですが、自分の力でどうすることもできない出来事に出会ってしまったときには、神や仏と言われるような目に見えない力に縋るしかなかったのですね。
息子が助かったことを、息子の寿命があったと捉えるのか、目に見えない力が手を貸してくれたと思うのかは人それぞれだと思います。
私は無神論者であったにもかかわらず、目に見えないなにかに向かって祈り、感謝したのです。
ということは目に見えないなにかを信じているということでしょう。
ただ霊というものは信じていません。というより信じたくないのでしょう。^^:
私は見たことはありませんが、息子達が小さい時には壁のすきまで笑いながら遊んでいたり、何も無いところを見て「あそこにいるお口の赤い女のひとは誰?」と言ったり天井のちょっと下を指さして「このアチ(足)だれのアチ?」と言ったりいろいろなことがありましたが、どれだけ目を凝らしても私には見えませんでした。それでも息子達に見えているということは、人間とは違う生命体だろうと思うことにしたのです。(私はものすごい怖がりで、子供の時には一人でトイレに行ったことがないくらいなのです。^^;)
ある時霊能者と言われる方にお会いする機会があった時に「相手が霊であろうがなかろうが、人に対する時と同じように接することが大事だ]とおっしゃっていました。
例えば何かの気配を感じたとしても塩をまいてシッシッと追い払うような失礼な態度をとらないことや、興味本位に心霊スポットと言われるような場所に行かないこと(テリトリーを侵さないということです)を聞いて「なるほど」と思いました。
そして霊障といわれるようなものは自分で引き寄せているのだとも。
恐怖心は感情の中でも特に強い思いなので、そういう出来事を自分で作り出しているとも言えるとのことでした。
世の中にはさまざまな人達がいて、いろいろなことを言われますが、どの言葉を信じるかはその人の選択です。
要は自分の信じたいものを信じて生きていればいいと思います。
運命というものもあってないようなものだと私は思っています。
あると思えばあるし、ないと思えばない。
自分がどう思うか、思いたいのかという選択があるだけなのだと思います。
颯天さんのおっしゃるようにものごとの捉え方は自分しだい、起きた出来事もどう捉えるかによってそれがプラスになったりマイナスになったりするものです。
世梨花さんの人生は100パーセントあなたのものです。
あなたがどんな選択をすることも自由だと思うし、そこに「間違い」などと言うものは存在しないと思います。
どんな出来事であってもそこに意味をつけるのは自分自身なのです。
あなたが御自分の人生において成長しようと思っておられるかぎり、どんな選択をしてもあなたの選択に誤りはなく、起こる出来事にポジティブな意味を見出して成長の糧にする人のような気がします。
あなたを直接知っているわけではありませんが、あなたの回答を時々目にしていたのでそんな気がするのです。^^
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