家庭の悩み
NO.190517
●私のことを忘れた認知症の祖母に伝えたい…
2016/06/06 14:04:08
・もかさん
女性 21歳
への返信
NO.911664
●・ナインさん
2016/06/06 23:20:18
男性 99歳
コメント:
まあ、今現在の状況を悲しんで捉えているだろうが“別の見方”をしてみろ。
俺は「人にとって病いは必然」と考えている。「老い」ももちろんだ。
産まれて成長して老いて死ぬのが当然のことであるし、それこそが「人生」ってやつだ。
だから老化にまつわる病いはもちろん、成長期にある病いやケガであっても“必要性があってその人間に訪れる”と解釈している。
例えば、おっちょこちょいな野郎が石に蹴つまずいてケガをしたなら「日頃から落ちつけ」というサイン。家に篭りすぎて自責ばかりして鬱病になったなら「外に出て自分とではなく他人と戦え」というサインという具合にな。
そうやって人は生涯でたくさんのことを学ぶ。
病いやケガやトラブルという“生きるための弊害”によって、人はより良く生きて、そしてより良く死んでいくためにな。
そうやって考えてみると分かるだろ。
孫の顔が思い出せない、孫が何かも分からないという婆さんの状態も、つまりは言葉の意味も家族の存在も何もかもを忘れていくことに「その人の人生の意味」を考えて当てはめるものではないってこと。
ようするに、誰からも賞賛されるモノを発明しただとか、良い会社に入って良い給料貰ったとか、そういった何か具体的な結果を残すことだけが人生の価値ではないってことだ。
婆さんは婆さんなりに様々な経験をして様々な「自分への生きるための教訓」を得てきている。その時に必要なものをその時に獲得してきたという自分だけの生きる価値だ。
そして、婆さんはそれを今“忘れなければならない状態”ということだけ。
坊さんに言わせれば、他界して成仏をするために、生前の執着だの欲だのそういった“成仏の邪魔になるもん”を取っ払うための老化であり痴呆(認知症)だ。「私の財産は」だの「娘がかわいそうで」だの、いらんことをやたらこだわっていてはスムースな成仏なんぞ出来んからな。
つーわけで、認知症の人間を介抱する側の家族はよっぽど大変だろうし、また、その人間のことを大好きな家族にとってはツラい時間だろうが、婆さん自身にとって現状は「必要なこと」だ。彼女が苦労した生涯に幕を下ろして旅立つために忘れることは重要だ。逆にボケずに老化して死ぬってほうが本人からすりゃ残酷な話になるってな。
昔のことで婆さんに謝りたいなら会ったときにキチンと謝っておきな。
それを婆さん自身が“表面上”で理解するかそうかなんぞまるで関係ないことだ。だって認知症だからな。ただし、認知症だろうが植物人間だろうが人と人とは心で通じあえる。なんでかって言われても説明すると面倒なので省くけどな。
きみが不安で泣こうがわめこうが構わんだろ。それこそ、きみ自身の人生にとっての意味ある出来事になるはずだ。そして、その姿を見ることに婆さんにも何らかの意義があるはずだ。
自分の人生も他人の人生も前向きに考えろ。自分の悲しさに苛まれすぎると何も得られない人生になるぞ。優しい人間ほど頑張るもんだ。

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