i-mobile

悩みウェブTOP

管理者に連絡

心の悩み
NO.187521
意味がわからない
2015/08/17 14:43:25
ドリーさん 女性 25歳
への返信

▼一番下へ

NO.900683
ナインさん
2015/08/18 07:17:29
男性 99歳
コメント:
何の宗教観か知らんが、「怨んではいけない」なんてことは無い。「過去を忘れる必要」もまるでなし。


現に考えてみろ。現在の名だたる宗教では「他人は怨むな」と神々しく立派に教えているが、犯罪者に対して加害者家族が「死刑にしてください」なんて想いは、まさしくただの怨みの報復だ。そして、それが「報復」などではなく、被害者の悲痛として、当たり前のようにまかり通っているのが人間界だ。

また、現在のキリスト教概念に犯されたカス仏教ではなく、釈迦の唱えた本来の原始仏教では、怨むことがダメとも、ひいては殺すこともダメとは言っていない。

これは「人殺しが良し」という意味ではなく、人間界には「殺されても同然の悪い人間がいる」という人間界の“現実”を説いている。そして、そういう現実を釈迦自体が嘆きながらも、必然として受け止めるべきだと説いているわけだ。

だから、例えば、医者は医者として人の命を助けるのが当然。親は親として子供を叱ったり育てたりするのが当然。猟師は獣を撃って殺し、革や肉を売るのが当然。坊さんや牧師は死者を弔い、自分の観たモノで説法するのが当然になる。

よって、本来ならば、人間には個々様々な正義感や価値観があって然るべきなわけだ。医者と坊さんとでは、死生観や命の重さ、正しく生きるという理想と常識が違う。どっちが正しいなんてもんは無い、自分の立場や自分の経てきた歴史で導く答えだけが正解よ。



でな。俺がきみの立場であれ、その人生なら間違いなく祖母やら両親やらを怨んどる。話を読むだけでも悲惨が理解できるからだ。それに、それほどまでではないが、俺も似たような苦痛で今現在を生きている。だから理解できる。

だがよ。俺の場合は、怨んでいたとしても自分が疲れる怨み方はしない。例えば、死んだヤツの死に方が幸福そうだからと怨んだところで、「死して尚も俺に影響している」と思うと「単純に負けた気分で腹が立つ」ので、クソが見えなくなったことだけ認識する。クソが許せないからこその「無視」だ。

また、生きているクソに対しても基本的にその思考だ。
そら、生きて目前に居るなら、突発的に腹が立ったり、悔しくなったり、悲しくなったりするのは避けられないが、それでも基本的には「目に入らないクソ扱い」だ。


クソはクソの常識や正義感や価値観で勝手に生きてもらい、俺は俺で、俺の常識や正義感や価値観で生きる。

何せ、前述したように、本来なら個々様々な正義感や価値観があるものだからな。これは、宗教や道徳のバイブルには犯されない「自分の人生観(宗教観)」ってやつだ。だから、きみもそれを確立しろ。

そして、俺の見立てではきみは普通にイイ奴だ。なので、自分の人生観を疑うな。ようは、きみみたいなやつは、それを確立しても人殺しや人を無闇に傷付ける人間ではないからな。

つまり、そうやって、自身の辛酸と苦渋体験から、それでも他者を考えて生きてきた人間てのは、どんな立派な経典で記す人間の在り方よりも、憎しみ、怒り、悲しみ、共感、自立などを携えた【人として人らしい崇高なモノ】を持っている。

いいか。体験して味わい、身についたモノこそ本物だ。
そして、それは自分が死ぬ時まで、自分の経験によって常に塗り替え続けられ、その真実は変わっていく。

対して、ロクに苦労もせずに辞典で調べただけのような「結果」を、宗教家や人格者気取りで、善だの悪だのアセンションが何たらだの言うヤツは、本物に成りたいだけの偽物で、何も人を導かない。そうかなと感じるだけで心に届かない。常識として教えられた道徳やモラルに無理クソに当て込んで、真実には至ってないからだ。

きみなら俺が言ってること分かるだろ?

しょうがねぇんだよ。金持ちは金持ちの家に生まれるし、美人は美人で生まれる。俺やきみは不幸な家に生まれた。そんだけだ。お陰で俺は他人に見えない俺の抱く真実を知っている。まあ、実際、別にそんなもんいらんけど。それよか金か女か、思いやりのある家庭や健康が欲しいわ。

それでも自殺とかしたきゃしろ。俺ならせっかく貯めた金がもったないので自殺とかしない。寿司とか食うし、いい加減にポンコツ車も替えたいしな。

友達いねぇなら友達になるぜ。映画は大好きだし。
ま、おっさんだが。

▲一番上へ

i-mobile

意味がわからない
心の悩み
トップ


(C)悩みウェブ