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将来の悩み
NO.187414
歳を重ねた人生を送った人に質問。
2015/08/09 14:28:04
旅人さん 男性 18歳
への返信

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NO.900324
旅人さん
2015/08/10 16:15:22
男性 18歳
コメント:
フェイスタさん、返信ありがとうございます。1




僕は臆病で論理が通ってないのに権威で指図するような人間が気に食わないし、
その本人も本気で言ってるからまさか自分が間違ってる事言ってるなんてわからないだろうから、相手が間違っていること、おかしいことを言っている時は黙っている子でした。
ですが、僕が逆らったからといって僕の生き方を壊す必要があなたにはないので安心して思ったことをかきます。

猪木さんの言葉は共感できるところがあります。
僕は確か三歳の頃からか死ぬ事が怖かった。誰だってそうかもしれない。
失敗しても大丈夫、そんな思想が理解できなかった。根拠がないからだ。
僕が些細なことで怖気ついている時、僕の周りの人というのは何を恐れて騒いでいるのだというような態度をとる。
何が大丈夫なのか、誰が大丈夫なのか説明無しにそういう論理がまかり通るので僕に安らぎという概念はありませんでした。
幼少期に親から十分な説明もされず引っ越すことがありました。保育園を3つ渡りました。のどかな田んぼだった風景が、住宅街になり、路地裏になり、また住宅街になり、園内では仲良くなる間もなくコミュニティを移動する必要がありました。
だから、今置かれている状況や場所を必死に理解しようとして安全の保証を探すような性格になったのかもしれません。
ですが、つい先日に死についてのひとつの答えが出せました。
人はいつ死ぬかわからない。産まれた時にもう息ができないかもしれないし、金が無くて飢えるかもしれないし、家族に殺されるかもしれないし、乗り物にぶつかるかもしれないし、病気が見つかるかもしれない。死というものは本来自分で選べない。ぽっくり逝っちまえばもう自分が死んだのか、なぜ死んだのか何がなんだかわからないままわからない。死んだら自分はどう思うか?意識があるかどうかは置いておいて、
とりあえずとか、敢えて、大丈夫だから、そうやって生きて今勝手に人生終わっちゃったけど自分は何してたんだ?とそういう悔しさが僕は嫌だったのだ。
普通に過ごして自分で判断できたのに、死というものは突然やってきてあっちの都合で自分自身に幕降ろしちまう、そんなの嫌だよぉといった考えが僕にはある。
だから、僕という人間は方向性とか指示なんかより生きられる妥当性の方を重視する。
それでどうやって死に対して向き合う答えが出たかというと、死から逃れられないことは大前提だ。皆、どこに行ったって何してたって死ぬ。時と空間に関係なくだ。
命とはそういうもの。
じゃあ、そんな強力なものに対して反抗する、すなわち生きるってどうすればいいんだって問われた時に気をつけるんだってそうするしかない。
気をつけることを真剣に行うと並の修羅場では命を落とさない。
小さなことで躓いたりしなくていい。またもしも絶体絶命の状況に陥ったときに精一杯抵抗して駄目だったんだから、自分の実力なんてものはこんなものなのだ。
今の実力でこれだけ先に進めたのだから自分の死に場所はここだろうなぁと受け入れることができると思う。
それが僕にとっての生きる定義なんだ、って思ったら正しいんだ、こっちのほうがいいんだ、楽しいんだって言われてる場に収まってないで、本音で行動しよう。
上手くいってる人に認められようなんてやめちゃって、自分の哲学を通そうと腹を決めたのです。


だから、猪木さんの言葉の「この道を行けばどうなることか」
という問いには共感できる所がある。

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