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NO.181618
なぜ
2014/09/26 10:05:34
めいさん 女性 26歳
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NO.878074
優しい時間さん
2014/09/26 19:09:30
男性 56歳
コメント:
自殺する人は、「生きる力」を喪失した人。

経済破綻して、明日、どうして生きていったらいいのか?、そんな絶望感に冒された人。
不治の病でもう余命がなく、希望を持てない人。
愛する人を失い、こころに深い喪失感を味わった人。
苛めに苛まれ、孤独で自分の存在すら感じられなくなった人。。。様々。

そんな時、他者は、「お金がなくてもあなたには家族がいるではないか?」と慰める。。。
重い病であっても、「僅かな余命を精一杯生きよ」と慰める人もいる。
深い愛に破れても、「また、新しい出逢いに向けて生きよ」と励ます人もいる。
苛めにあった子に「そんなに嫌なら学校なんて行かなければいいんだ」と諭す人もいる。。。

でもね、苦役の中にいる当事者は、すでに『生きることに疲れているんです』よ。
その人にはもう生きるエネルギーは残っていない。

もうなんの努力もなしに「救ってほしい」の一念しか。。。

それは健常者であれば、「克服」の手立ても見つけようと考えもします。
でも、生きることに疲れた人は、健常な人とは「その重さ」は違うものなのですね。

生きることに意欲のある時は、「自分のこころの中で、克服に向けて広げていける」ものなのですが、
絶望している人にとっては、もう「受け身」でしか力が存在しません。
だから「手立て」などないのですよ。

そこが心理的に健康な人とは、違うのです(前提に相違がある)。

だから、心理的健康な人には理解は出来ないのです。
つまり、「それ」を理解してあげない限り、ただの慰め(反発)にしかならないのです。

野球の9回の裏、起死回生において、満塁ホームランしか、もう「救い」はないのですね。

それ以外は、その人を救えない。
ゲームオーバーしか残されていないのです。
「後僅かだが、頑張れ!」と激励したところで、戦意喪失した者には通じないのです。

本当の挫折感を知らない人は、「その窮地」には立てません。

生きる力を喪失した人は、「無条件で愛を周囲に求めています」。

でも、その胸襟に触れて貰えないと時には「終わり」がきます。

私はいつも思うのですが、「どうして周囲の誰かが、その苦しみを解ってあげる人がいなかったのか?」と苦悶します。

本当の「不公平」は。現実的な事象ではなく、その者の「こころの中」にあるものなんですね。だから救うのが難しいのです。

自殺しようとする人に「今、頑張ることで救済」を示唆しても、なんの効果もございません。

もし、生きる意欲を喪失した方が、未直におられたなら、
「全面的に無条件」で支えてあげるしか手立てはないかも知れせん。

そんな慈愛があった人は、死ななくて済む。

赤ん坊のようにママの胸に包まれたい、そんな願望を満たしてあげるしか、方法はないように思います。

貴女は未直な大切な方を亡くされたようですが、
こころから、その死を悼んであげてほしい。
それがせめてもの「供養」であると思います。

そして、それに返して、「生きる意欲」を喪失しないように「それ」を教訓に生きてほしい。
今、、貴女に出来ることは、故人を悼み、慈悲に祈るしかないと思いますので。。。

哀しみの淵から立ち直られることを祈っています。


不治の病で妻を亡くしたオヤジより。。。



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