心の悩み
NO.173287
●心の不安定
2013/12/09 21:55:07
・匿名さん
男性 19歳
への返信
NO.846273
●・テルさん
2013/12/10 15:01:18
男性 99歳
コメント:
寂しさや特に不安感って…ホントに扱いづらいものなんですよね…
私自身振り返るとそいつに苦しまされている間は結構大変だったです…
ただ、少しだけ...もしもアドバイスする所があるとすれば“なかなか理解してくれる人がいない…”という所。実際はそんな事はないんですよね
それらを理解してる人(その苦しさがどんなかを理解してる人)って、実際は多いんですよ…
なぜなら不安を感じない人間なんていないし、寂しさを感じない人間もいないので。
全ての人間はそうなので、当然その中には“特に不安を感じやすい人”もいるし、“特にさみしがりの人”もたくさんいる。 当然ですよね?
“理解してくれる人なかなかいない...”ではないんです。
当事者にすれば例えば子供の頃のように泣いてたり不安に苛まれていると心配してくれて近寄ってきてくれて手を差し伸べてくれたり抱きしめてくれたり“どうしたの?”と聞いてくれるようなそんな人はいないし(19歳なんだから実際は当然だったりするんですが…)、また、“そんなのこうすりゃいいじゃん”と簡単に言われたりするから“理解してくれてない”と思えたりするとは思いますが…その苦しみがどういうものかは相手が不安や寂しさを感じられる人間である以上おおよそはちゃんと理解はされてるんですよね…
つまり人を苛ませる不安や寂しさは同じだとして…では貴方と何が違うかというと、寂しさや不安、それらをどう捉えるかの『捉え方』が違うんですよね…
“苦しみを知らない”のでもないし“理解してくれてない”のでもなくて…同じような苦しみも実は人は味わってるしそれがどんなものかどんな味がしてどんなに苦しいか理解もしているんだけれど、ただそれをどう捉えるかの“捉え方”が違ってるだけなんですよ。
貴方は“褒められて育ったか?”という事に注目されてますが…
人を褒めるのが苦手な人なんて世の中実際にはたくさんいて、つまり親がそういう人でほとんど褒められずに育ってる人は実はたくさん居るって事なんです。例えばですが昭和の時代までそもそも“褒めて育てる”という考え方自体なかったし、昭和のはじめは特に“褒める親”や“褒めない親”どころか親自体や保護者もいない人も多かったです…が…それで何かおかしくなったかというと...そうではないですよね…
つまり、違いがあるとすれば、貴方はその事の理由を探し…何かで理由づけをして...自分自身の中でその物事を大きな事として“捉えちゃって”ます…よね…
これは他の痛みにも言える事なんですが“痛い”事を痛いんだとその事に注目し自分の中で大きなものとしちゃうと余計に痛みを感じるしその痛みが大きな物事にもなるもので…
それはまるで都会育ちの人が田舎に来てちょっと虫に噛まれたり小枝で肌を擦ったと大騒ぎしてて…田舎の人はそれを見て“外に出りゃ虫に噛まれるくらい当たり前だしそれくらいなんでもない方なのに…”と思ってるのに似てるんです。
このように”捉え方”が違うと、同じ物事でも全く違うものにさえなるって事なんです。
さて、そこで大事な事は『貴方はどうなりたいか』という事。
今のままでいい...ですか…?それとも逞しく強くなりたいですか?
本当に...そうなりたいですか?
もし強くなりたいのであれば、その物事の“捉え方”を変える事です。
それくらい普通の事だし大した事ないと事だと捉える事…だったりします。
“どうすりゃいい?”とか“何か方法が…”というように解決の糸口は他の所に探しても他の所に解決策はないし何か頼るもの...なんてそもそもないです。貴方の中にだけある。
貴方と同じように不安や寂しさに苛まれたが...でもそれの捉え方を変える事が出来て乗り越えられた人は、だからこそ“そんな事言ってても仕方ない”とか“そんなの実は普通の事なんだよ”といってたりします。
強くなるという事は何も難しい事ではなくて、ただ“捉え方”を変えるだけで良かったりするんですよね...

■心の不安定
■心の悩み
■トップ
(C)悩みウェブ