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NO.156715
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2012/04/03 23:11:38
ぐったり侍さん 男性 30歳
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NO.767433
腹減ったさん
2012/04/11 11:46:28
男性 27歳
コメント:
>古典論理命題としてアプリオリに「定義されている」のですから、対立しません。

{定義されている}
定義できるとしているじゃない?
「定義できる」わけではない

「〜である」「〜ではない」と
{定義できる}としているということになる

「〜である」「〜ではない」に分けられる、と定義できないかもしれないわけだから




あなたの説ならば、

>科学的事実は、それがどれほど間違いないようなことだとしても、常に「最も確からしい仮説」に過ぎません。

とあなたが言っている通り

あなたの説でいくと
多くの命題は
体系的な定義から「〜である」「〜ではない」と{定義できる}ではなく

体系的から「〜である」「〜ではない」と{定義できるとしている}だけで

人間が「定義できる」と思っているだけで


体系的に定義できるから、「〜である」「〜ではない」と定義できる
ではなく
体系的に定義できるから、「〜である」「〜ではない」と定義できるとしている




>貴方がいま問題にしていることは、その用途における「公理系」を無視したため起こっているわけですので、その公理系による定義をひっくりかえすような形で「かもしれない」を用いた時点で、命題が正しく用いられていません。


あなたの説で言うと多くの命題は否定されることになることを説明しただけで
命題を用いたわけではないでしょ


>前述したとおり、体系のなかでそれぞれの公理系を持ち、定義がされるのですから、
「その体系の中で定義された」で解決します。

つまり、「〜である」「〜ではない」と定義できるわけではなく
「〜である」「〜ではない」と定義している


「定義できる」しておくだけで

「連鎖が途切れる」「連鎖が途切れない」定義できるかわからないということは

一般的な命題も定義できるかわからない

体系的というのは、確実というわけではない
何度も言うようだが体系的に定義できるから「〜である」「〜ではない」と「定義できる」わけではなく
体系的に定義できるから「〜である」「〜ではない」と「定義できるということにしてある」

じゃあ体系的の基準はなんだ、となる
どこからが体系的に定義できてどこからが体系的に定義できないなの?



>我々の世界での公理系が通用しない可能性が、計算上生まれているからです


公理系では自然科学だよね
そりゃ、人間が発見できない「できていない」物体がいくらでもあるわけだから
今の計算で通用しないのは当然でしょ

だが公理的が通用しないからと言って
「〜である」「〜でない」以外に答えがあるかもしれない思うのはなぜ?


{人間が50年生きるためには、水が必要である}という命題で
確実と{真}と思われていたものが、実は{偽}である

となるならまだわかる

だが、{人間が50年生きるためには、水が必要である}
{真}水が必要である
{偽}水が必要ではない

これはどちらを選んだとしてももう片方が否定される

認識できない答えがあるかもしれない

仮にそう考えたとして何か発展するかな?
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