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NO.156715
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2012/04/03 23:11:38
ぐったり侍さん 男性 30歳
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NO.767016
ぐったり侍さん
2012/04/08 20:10:04
男性 30歳
コメント:
>それは、真実がわからないだけで基準がないわけではないよね?
>どちらかしかないんだから

いえ、再度言いますがそれは担保されていません。
「どちらかしかない」といえるのであれば、少なくともビッグバン以前の段階で「この世界」での存在や概念のあり方が一致を見せることが絶対条件です。

なので「途切れない」「途切れる」のほかに、「そのどちらでもない」という可能性が提示できます。

>これも{永遠}に続くから{途切れる}でもなく{途切れない}でもないと?

『数学的』には途切れない、と定義できます。

もっとも数学的な「無限」と、実在としての永遠は区別するべきでしょう。
可能無限と実無限で扱いも違いますし。
これはとても面白いテーマで、もっとも大きな区分けとして「実無限」と「可能無限」という二つのあり方があり、実無限としての考え方では
「無限に続くが果てがある」考え方をしています。
数直線による0から1までに、無限の数が存在していますが、1という明確な果てが存在することを示すのがこの考え方ですね。

1/3については、今回のテーマの中で機会があれば出したかった
「無限を持ちながら、有限である」
という一つの事例です

ただし、無理数の例を受けて、改めて概念的な永遠そのものは命題の要素として含んでもよいのではないか、と、自分の発言内容を再検証する考察をしています。
こちらはもう少し考えたいと思います。

ただ永遠という要素を抜きにしても、結局はビッグバン以前の命題設定が不可であるため、基本的スタンスは変わりません。

結論からすれば、「でも途切れるか途切れないか以外に答えはない」ということは、永遠を抜きにしても前述したとおり担保できていないからです。


>人間が認識できないではなく、存在しないというのはないか?

もちろん存在しないかもしれません。
いくつかの説ではその存在が認められますが、どうしたって認識できない以上仮定的に扱うしかないでしょうから。

ただし「存在する、しない」に関係なく、それを表現することが可能です。
そしてその表現方法が3次元的にしかできないことが最大のポイントです。

これは、「四次元が存在しないから、三次元の世界で四次元的に表現できない」のではないことは、
「二次元の世界で三次元を三次元的に表現できない」
という我々の理解する事実からの帰結です。
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