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NO.140813
葬儀の出席
2011/04/30 22:14:31
あっきーさん 男性 25歳
への返信

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NO.686027
パトさん
2011/05/02 20:19:56
男性 23歳
コメント:
丁寧なレスをありがとう、と言っておこう。

せっかくなので説明しておこう。

お主という言い方は、時代劇調ではあるが、質問主に対する尊敬語でもある。美しい日本語を大切にしているまで。気に入ってもらえれば有り難い。

南無阿弥陀仏=阿弥陀仏を信心しますの言葉は、仏教の日本での浄土真宗において、親鸞も説いた悪人正機説に基づく。阿弥陀仏は西方極楽に座する仏であり、人が信心故に仏となる導きを成すものである。南無阿弥陀仏は福音と捉えるれば良かろう。現世において業故の自堕落であっても信心によって仏となれる道を求めることである。お主が生まれてから今までを省みる心があり、祖父への恩を報いたいと思い、是非にも葬儀には出席したいという殊勝な心を持つ者であれば、それは阿弥陀仏の導きを得られることになるだろう。

しかし、お主が己に正直過ぎることは我欲故に信心の道から外れておる。
葬儀への出席に際し、我欲が先に立つならば、それは祖父への背徳でしかない。
苦に甘んじた先に、苦たるを超えることが悟りであるが、お主は苦に甘んじることを良しとしない。
祖父が亡くなり葬儀が催されることは、お主の祖父が葬儀という場にお主を招いてくれている幸いであり、葬儀という場での苦を甘んじて受けよという愛なのだと思うべきだろう。お主の祖父が孫への厳しいながらも絶好の機会を与えてくれたのだと慶びたいところだ。

お主の祖父が与えた幸いなる絶好の苦しみの機会をお主は有り難く享受すべきと考える。
ボタン付きの礼服を着れぬ故に場違いな服装で登場する恥をさらせばよい。
非常識な形で登場する息子をもった親の苦悩を目の当たりにすればよい。
独りよがりで親戚に認めてもらえぬ今の生き方を大いに責められればよい。
しかし、それらはお主の祖父が亡くなることでお主に最後に与えた愛情であると受け止めればよい。
苦しめばよい。苦しむことでお主は次に救われる。そう成ってほしいと祖父は孫に想いをよせていることだろう。

いかなることでも感謝せよ。
このサイトでお主のいたずらを責めてくれた方へ感謝せよ。
このスレでお主の生き方を変えるための無理からな改善策を提案してくれた方へ感謝せよ。
感謝こそすれ、そんな反応はいらぬという上から目線は不要。数々のレスを、感謝もしないで、己の答えになっていないと品定めするだけの態度なら、こんな質問はするべきではない。己の正しさを理解せよというばかりで、その正しさがそもそも怪しいという謹言に耳を貸せぬようでは、お主の祖父も死んで浮かばれないだろう。なんのために、お主に祖父はこんな機会を与えたのだろうかと。

ひとまず、拙者についてはおいておいて、これまでに温かくも厳しくもレスをくださった方に、スルーしたり批判やちゃちゃを入れただけで終わらず、いずれのレスにもまずは感謝する発言を載せてほしい。
お主に向けて誰かしらがこのサイトでも葬儀の場でも発言をするということは、そのときには意味不明や不快でも、いずれや意味ある福音となるはずと慶び、発言してもらえた事実にまずは素直に感謝を述べることから、お主の態度や思考の改善を試みて欲しいところだ。

重ねて、お主に仏の導きのあらんことを。南無阿弥陀仏。
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