心の悩み
NO.138241
●長文です。生きる事がむなしい。死恐怖症
2011/03/11 16:24:56
・ぴくさん
女性 20歳
への返信
NO.674029
●・悠さん
2011/03/15 23:12:01
男性 21歳
コメント:
長文失礼しました
追記です
コペルニクス的転換をもっと簡単にいえば、「主語」を入れ替えるということ
そうすれば、自ずと『自分の利益のため』に行う勉強という行為が、
『誰かのため』に変わります
・「自分」の『学力UP』のために勉強する
これを
・「生まれてくる子供」に母親として将来『教えるため』に勉強する
こんな感じです
ここでこういった疑問を持つでしょう
「そんな考え方じゃ、自分のためにならないじゃないか
私は誰かのためにずっと我慢しなきゃいけないの?」と
それは違います
生まれてくる子供のために勉強をすることで、
自ずと自分のためにもなりませんか?
知識が増えるのには変わりませんよね
でもここで
「じゃあ私は、誰かのためと偽って自分のために生きよう
誰かのために行ったことが私のためになるんだから、自分のために
生きてもいいよね」
とひねくれた考えを持つ方が中には恐らくいるのではないでしょうか
しかし、結局はそれは自分のためであって誰のためでもないことに
気づく必要があります
前の投稿記事より、自分自身に意識が向けられた時には
生きる意欲が無くなるといったことを伝えました
(自分自身の欲求のために自慰行為をし続けることを想像して下さい。虚しくなりませんか)
自己の超越、忘我(自分を忘れる)によって、初めて本当に「誰かのため」になります
そこに自意識が入り込むこめば、それは「誰かのため」ではありません
だから、誰かのために生きて下さい
「誰かのために生きよう。ご飯を作るのは夫のために。仕事は家族のために。絵は私の絵を待っている人に。あーなんて私って偉いんでしょう。誰かのためにもっと頑張ろう!」
ここで注意したいのが、「誰かのため」という意識が強すぎるために、
結果として
「誰かのために何かを行う自分が輝いているから、その輝きのため(自分のため)にもっと頑張ろう」
と勘違いしてしまうことです
恋人のために一生懸命尽くしたのに別れを告げられることはよくあります
それは結局、恋人のために尽くすそんな私が好き、だからもっと尽くそうという
自意識の表れから、恋人が重く感じるためだと思います(自分なりの考え)
「んじゃあ一体どうすりゃいいの?」と呆れる声が聞こえるかもしれませんが、
その対処についてはまた次の記事に書きます

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