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NO.113532
生きる価値
2010/01/20 20:39:38
すばるさん 男性 18歳
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NO.559767
ことりさん
2010/01/21 23:24:29
女性 27歳
コメント:
生きたいと言う言葉は確かに人間の言葉ですし、思いです。

けれども、小さな蟻でさえ襲われたら必死に逃げますし、自ら襲われには行きません。

生きることそのものは本能ですし、ただその表現方法として、人は思いや考え、言葉があると言うだけではないでしょうか。

感動は感性ですから、好き、嫌い、は感情と言う観点では共通してますよね。

私は感動によって生きている実感を普段に比べてより、感じますが、それはもう理屈でないですね。私は例えば自然を感じた時に生命の息吹を感じますし、その瞬間に生きていて良かったと心から思います。

その気持ちは道徳とは違いますよ。それこそ、何に感動するかなんて人それぞれです。
この感動や、生きる糧がある人にとっては、快楽殺人だったりするとします。
これは、人間社会の道徳と言う観念に反するので、罰せられる訳です。
道徳はつまりある社会で、人が歩む上で善悪を判断するためのルールです。

なので、生きる価値や感動とは、論点や観点が違いますし、比較対象とならないと思うのですが。
右脳と左脳をひとつにできない様に、それほど対称的です。


また、好き嫌いは社会に刷りこまれていますか?
私はお肉が嫌いですが、みんなが嫌いだから嫌いではないですし、野菜が好きなのは単に自分の好みに合うからです。

すばるさんは、食べ物に関して好き嫌いはありませんか?好き嫌いでなくても、単に今日はアレを食べたいとか。
すばるさんの好き嫌いを極論ですが、食べ物の嗜好で表すと、毎日同じ食べ物ので良いし、それで満足、になるのですが…
心がある以上、そんな訳には行きませんよね。
好き嫌いは、人間の進化の過程で手にいれた、娯楽の一種です。
これは、なにも、昨日今日に決まった、法や社会の規範ではありません、一種の本能です。

この本能と、社会が作りあげた考えや論旨を、一緒くたにしてしまっている様に思えます。

また、少し怖い例えですが、すばるさんが少しずつ病に侵されていくとします。少しずつ、はじめは足の先から。やがては立てなくなり、その内に腕も使えなくなり、首から下は動かなくなってしまいます。
その時、すばるさんは何を思うのでしょうか?


私はすばるさんは単に、すばるさんの考えている社会と言う観念に囚われているだけの様な気がします。
それは、果たして本当の実社会でしょうか?


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